日々の備忘録

日々の出来事や考え事をまとめるためにつらつらと書いています

自己肯定感とは

「自己肯定感」最近になって耳馴染みが良くなった言葉だ。自己肯定。己を肯定できる人、それが難しい人。色々な人がいる。私はイジメや家庭内暴力やその他の要因が重なり自己肯定感の高さとはかけ離れた低さだった。よく言えばフランツ・カフカの様に。自己肯定感の低さは色々な所に影響がでる。わかりやすいのが恋愛だろう。相手に好かれているけれど自分は己のことを好きではないから、好きでいてもらっていて申し訳ないだとか不釣り合いじゃないのかとか恋人の愛が辛い。受け止められないだとか色々ある。

わたしも長らく苦しめられてきた。自己肯定感の低さを誤魔化すために本当の名前も知らぬ男性と遊んだり酒に走っていた。でもそれは「誤魔化す」だけであって根本の解決にはならない。余計に悪化するばかりで虚しさが募り問題を大きくさせるだけであった。見たくないものを心の片隅に追いやって追いやって追いやった結果私は精神的に潰れてしまった。仕事もキャンセルが多くなり遅刻も増えた。影響しては行けないところにまで影響してさらに落ち込んだ。「死にたい」とさえも思った。どうにもならないのなら生きていたって仕方ない。死んだ方がまだマシだ。とさえも考えた。ただ人間そう簡単に死なない。それは自分自身が一番よく分かっている。なら私がすべきことは何か。自己と向き合い直すことだ。私が本当は何を求めてどうしてそうしてしまうのか。これからどうすればいいなか。考えた結果がこれだとおもう。 

 

ここからは私の主観だと思って頂きたい。考えて考えて考え込んだ結果は自己肯定感の低さや高さを気にしないことだった。気にしてしまい無理をして高くしても今までの低さが顔を出してきてせっかく積み上げた肯定感を悪魔の様に潰してしまい諦めてどうしようもなくなって負のループに入ってしまう。それならばいっそ思いきって低いなりの自分ごと受け止めてみればどうなのかと。わざわざ傷ついて頑張って高めなくてもいいのではないかと。そうやっと考えられるようになった。私だって好き好んで低くなった訳では無い。皆そうだろう。低いところから高いところに行くのが可能な人もいる。自然な成行で高くなった人もいる。ただ私は、どれだけ努力しても周りの親愛なる友人たちとどれだけ会話を重ねてアドバイスを貰っても自己を見つめ直しても高くなれなかったのだ。自分を好きになれなかった。どれだけ褒めてもらっても社交辞令でしか反応できないしどう返していいかも分からない。ならもうそれはそれでいい。ある意味個性として解釈して飲み込めばいい。それが私が生み出した答えだと思う。

自己肯定感に対してまた色々な感想が聞きたいので色々聞きます。友人たちは必ず聞くのでのんびり答えてください。お願いします。

また描きます。では