日々の備忘録

日々の出来事や考え事をまとめるためにつらつらと書いています

死は希望

「死」というものについて若輩者だが私なりの意見を述べようと思う。

生きているもの皆平等に訪れる死、死を目の前に富裕層や貧富の差など無い。誰も死からは逃れられない。人生の終点。

この世の中には様々な人が抱く死生観がある。無論私にも。私は死を希望として生きてきた。いつか死ぬ。このいきづらい現世から逃れられる時が来ると。お恥ずかしい限りだが私は過去に2度自ら命を絶ってしまおうと思い行動に移したことがある。結果はご覧の通りだ。1度目は首吊りを、2度目は家にある錠剤をかたっぱしから集めて飲んだこと。両方死ぬことは出来なかった。人間の体は、私の体は死ぬことを拒絶したのだ。今でも強烈に覚えているのが、首を吊った時どんどん意識が遠のいて窓から差し込む夕日と徐々に眼前に白い靄がかかってくる風景がとても美しかったことを覚えている。そして「生きたい」と強く思い、首から紐を外したことを。あんな経験はもう二度とないと思う。本当に美しい光景だった。死ぬ間際またあの光景が見れたのなら本望だ。

「死にたい」と思う力を原動力に今まで生きてきた。周りは沢山心配してくれたけど、私はもうこういう生き方しかできない。死を希望にする他方法がない。

無論長生きなどしたくない。老いていく己を見たくもないし、何れ身体が動かなくなって人様の手を借りることになったらと思うと居た堪れない。ここ数年、言っているのだが、私は出来たら35辺りで死にたい。あくまでも希望論だが。大体これを聞いた人は「どうして35歳で死にたいの?」と言う。

自論だが、35というのは自分なりにキリがいい年齢だと思うし「若さの賞味期限」が切れる頃だと思うからだ。「若い」だけじゃやって行けなくなる時が必ず私にもくる。それが耐えられない。私はいつまでもこの「若さ」というものに甘んじて生きていきたいし、賞味期限が切れるギリギリまでこんな生活を続けたい。でもいつまでも続けていられるものじゃない。自分でも思うが本当に考えが甘い。

理由はもうひとつある。大変浅はかな理由だが、好きな作家や音楽家が20代後半、30代前半でなくなっていることが多いからだ。私にはなにも才はないが、尊敬する彼らの背中を追って死ぬのも悪くはないと考えるからだ。浅はかだ。大変浅はかで生温い考えだ。承知している。それでいい。理想の死はあるかと問われればあると答える。私は煙草も酒も嗜んでいる。だから肺か肝臓が悲鳴をあげてどうにもならなくなり余命2年宣告されたならば、それが私の理想の死だ。きっと辛いだろう。苦しいだろう。致し方ない。もう腹は括っている。余命を宣告されたならば、家族や今までお世話になった方々、友人に手紙を書いて会いに行き、たわいもない会話をして、海が見えるホスピスに入居したい。終の住処を選ぶことができるのならば海が見える所がいい。財産なんて大したモノはないし。あると言っても大量にある本だけだから、古書にまわすか友人達に贈るかどちらかだろう。そうやって海を眺めながら迎え来る死を待ちたい。どうしてこんな碌でもない屑がのうのうと生きて、良い人達が先になくなってしまうのか。不条理である。

と、長らく考えているが、私の事をとても可愛がってくれて娘とまで呼んでくれているBARのマスターに、ついこの前こんな事言われた。「親より先に死ぬなよ。親より長生きするのが子どもがする1番の親孝行だ」と、こんな嬉しいことを言ってくれたら心がぐらぐらしてしまう。実の父でも同じことを言うだろう。「親より先に死ぬな」と全く困ったものだよ。こっちの気持ちを知っててこんな事言うんだから。そんなの愛情の塊じゃあないか。そう安安死ぬものかと思ってしまうじゃないか。だって親には長生きして欲しいものだもの。そうなれば自然と私も長く生きなきゃならんじゃないか。全く。

皆、こうして代わる代わる私を「死」から意識を反らせようとしてくれている。嬉しくもありありがた迷惑だと思う。失礼だとは思うが。そしてとても感謝をしている。いつの間にか序文とは話題が変わってしまった。面目ない。だが私がこうしてこれを打っているのも、毎日自堕落な生活を送っていられるのと皆々様方のおかげでございます。大変感謝しております。

私の根本は変わることはないけれど皆様の優しさに甘んじてこれからもまだ生きるのでしょう。

これをまた書いているのも早朝というか朝の五時なので脈絡はないし多分文章もめちゃくちゃなので本当に申し訳ない。面目ない。

ここいらでおわらせよう。それがいい。

ではまた。

 

追伸。失礼な表現が多々あると思います。愛情の裏返しと思っていただけたら幸いです。私のことを好きでいてくれている方々、可愛がってくれている方々に心から感謝申しあげます。不愉快だと思ったのなら申し訳ない。訂正はします。ではさようなら