日々の備忘録

日々の出来事や考え事をまとめるためにつらつらと書いています

JOKER

1回目は思いつきでJOKERを見に行って何日間か頭をうんうん唸らせながらとっても考えてブログは書けなかったのですが、昨日友人と2回目のJOKERを見に行きました。友人は初めて観るらしく上映後ずっと考えていました。わたしはどうやってブログに書こうとまとめておりました。解説やまとめ、考察は苦手としていますし、私よりも上手く書いていらっしゃる人たちを見てきましたのでこの映画についてはその日1日のできごとと感想だけを書いていきたいと思います。

 

2時上映に間に合えばいいよ。と仰ってくれたのですが、それでも早めに着こうと30分早めに着き、時間が余ったので煙草を吸いドリンクを買って劇場の席に座りました。前回は突発的に1人で観に行ったのですが、予定を決めて行くと前日からトレーラー等を見てしまいずっと心臓がバクバクしておりました。

1度見たことあるのにまたトレーラーを観る映画はJOKER位です。

予告が終わり本編が始まります。

音楽と共にピエロ姿のアーサーが閉店セールの楽器屋の看板を手に踊っています。それを茶化して奪う不良少年達、看板が盗まれたアーサーは不良少年を追いかけますが結局殴られ痣だらけになります。初っ端から悲劇でした。 あんまりストーリーを話すとまだ見ていない人に申し訳ないので感想だけを書きます。

ずっと心臓が締め付けられるような痛みを感じていました。アーサーはどこでJOKERになったのか、冷蔵庫のシーンは色々な人の間で考察が飛び交っております。アーサーが冷蔵庫の中身を全てだして中に入るのです。そこでまたカットが入り場面が切り替わります。そこからアーサーは死んでいて全て妄想だったのかはたまた死ぬ事が出来ずにベットに潜り込んでしまったのか。意見が別れる所ではあります。わたしは後者だと信じたい。

アーサーはゴッサムという腐れきった街でも自分が奇形でも歪でも頑張って生きていました。コメディアンになりたくて身重の母の面倒を見ながら暮らす心優しい男性でした。わたしは「もしも」という言葉が止まりませんでした。「もしも生まれた街がゴッサムじゃなかったら」「もしも養子に行った先が恵まれた環境だったならば」「もしもウェイトに嘘でも父と言って抱きしめてもらえれば、優しい言葉を掛けてもらえれば」JOKERにならずに済んだのではないのか。

「何がハッピーだ。幸せなどひとつもなかった」劇中、彼はこんな言葉を吐きます。私の中で「もしも」がより強まって苦しくなりました。自宅へ向かう最中の階段、アーサーの時は重苦しく哀愁が漂いながら階段を登ります。しかし反対にJOKERに変貌し階段を降りる時はにこやかに煙草を吸い踊りながら降ります。人は落ちる時は呆気なく簡単に落ちるということを風刺している様です。アーサーは頭に疾患があり自分の意思とは関係なく笑ってしまいます。序盤のシーンはなのですが、バスの中でもアーサーは向かいの黒人の子供を笑顔にしようとしますがその子供の母親が気づき「かまわないで」と冷たく言い放つまでは1番あのシーンがこの作品の中で明るい所でした。

 

兄もJOKERを観ており、感想を言い合うのですが、兄は商社マンやロバート・デ・ニーロが殺された時少しスカッとしたらしく私にも同意を求めたのですが、わたしは1度もスカッとはしなかった。心の中の悲しみが増えるだけでした。

この映画は今の現代社会に向けてたっぷりの皮肉を向けて作ったのではないのか、アーサー役のホアキン・フェニックスの凄まじい減量とあの演技、構成、脚本。全てにおいて執念を感じていました。これに共感出来るのはある程度地獄を見なければ、苦痛を味わうことがある人でなければ心に響くことは無いのかもしれません。

語るべきことが沢山あります。これを見た友人はずっと心にくるものがあり考えております。また話が出来たら嬉しいな。

 

その日は、劇場を後にしてしばらく喫茶店で喋ってイタリアンを頂き散歩をして帰りました。とっても楽しい1日でした。

あとがき 

上手くまとめることが出来ませんでした。申し訳ないです。わたしはこの映画を今年の初め位からトレーラーで見つけ絶対見なければならないと強く思っていました。JOKERはそれくらい思い入れがつよいキャラクターであります。

ダークナイト」を演じたヒース・レジャーはあまりに役にのめり込むあまり27歳で自分の命を絶っていますが、ホアキンには長生きして頂きたい所存です。なにせあれだけの演技をしたのだから

 

拙い文章で申し訳ないです。みたことある人は一緒に語らいましょう。見たことが無い人は忙しい時間を縫って観てください。本当に素晴らしい作品です。

 

ではまた