日々の備忘録

日々の出来事や考え事をまとめるためにつらつらと書いています

社会生活と自己について

新しい仕事についてはや1ヶ月が経ちました。初めての事務と初めての会社員生活。
 派遣社員ですが、派遣社員くらいが性に合うので丁度いいでしょう。はずかしながら、まともな社会人的なマナーをうっすらとしか知らないままここまで生きてしまったので覚えることや学ぶことは山程ありますが、日々なんとかやっています。
 割と自由な会社なので服装や髪形については今までより楽しめていますが、それ以上に朝起きることの方が大変ですし、休みが2日しかないなんて割にあいません。今まで勝手気ままにやってきたツケを払っているかのような感覚です。週3日休みがあればいいのに。。。
 そういえば、こんな日常のことを書くのはとても久しぶりな気がします。面白味には欠けるけど、そもそも日記とエッセイの中間地点のような物をなのでそれもまぁいいかと思います。話は変わりますが、もうあっという間に春です。ほんの少し前には新年を迎えていたのに今じゃ桜が東京で初開花のニュースが流れています。こうやってまた一年があっという間に過ぎてしまうのだなとふと考えます。去年も多分同じようなことを言っていた気がします。
1日店長を体験してあれからまた振り返って改めて自分のことについて考えるタイミングが来たように思えます。パートナーから「昔より面白くなくなった気がする」と言われたのも一つキッカケです。面白くないのに自分のことを面白いと間違った認識のまま生きていたくなかったのでそう思い切って伝えてくれて嬉しかったです。確かに私は面白みがない人間になっています。いわば平和ボケというものでしょうか。昔は、負の感情からくるエネルギーで色々みたり読んだり自ら勉強し学ぶことはありましたが、それがなくなると怠けてしまい現状に甘えて何も行動しなくなり目の前の仕事や人間関係に必死で昔のように本や映画を見る機会や学ぶ事も減っていきました。私は負のエネルギーの使い方しか知らず、今の自分が持っているエネルギーの使い方をよくわからないまま過ごしています。

幸せであるが故に考える力や、探究心というものから離れゆくことに焦りを覚えています。手始めに持て余していた哲学入門書を読んでみるけど、集中力は20代前半の頃より衰えているし自分が今何を知りたいのかも迷子のままで。


かといって、今の幸せを手放してまでとは思わないし今の幸せを手放したいとは一ミリも思いません。人間は怠惰で傲慢な生き物だなぁと思います。
未だ結論も何も見つからないままです。その結論は今日見つかるかもしれませんし、明日見つかるかもしれません。はたまた見つからずに面白くない人間のまま過ごすかもしれません。


今はとりあえずそんなところです。ではまた

不毛な議論の行く末は

お久しぶりです。実はこの前、バーエデンで「不毛な議論を終わらせる会」なるものを開催したんです。
これが、まぁ難しかったです。何故、珍しくこんな会を開いたのかと言いますと、私にはパートナーがおりまして時折ふたりで色々な議論や哲学的な話をする事があり、こんなことをもっといろんな人と話してみたいなと愚直ながら考えたわけです。
不毛な議論等とつけたのは酒の席でジェンダーや差別の話や小難しいことを話すのは向いてないのかもしれない、しかも初対面の人もいるかもしれないと色々考えた末にこのようなタイトルになりました。

始まる二週間前程、お題を考えたり、そもそも人は来るのだろうか。坊主になりはしないだろうか。とずっと考えていました。丁度転職したタイミングで環境が大幅に変わったのもあり、毎日ドギマギしていました。来たる当日、仕事を定時で帰宅し自転車で難波へと向かい、道中サイゼリヤで腹ごしらえをし、エデンに向かいました。マスターであるナンノさんとアルバイトのバーテンの方と軽い世間話をしながら準備を始めます。
それから一時間ほど経ち、ここで初めてのお客様がきてくださってとても嬉しかったです。坊主だけは回避できた!と内心喜びながら、ドリンクを聞き、軽い自己紹介を済ませます。その人は自分のことを「懲役二年」と名乗ってくださいました。しばらくは四人で、「結婚するメリット」や軽い世間話をしていましたが、あまりに私が不出来なためにナンノさんが助けて下さったりしてなんとか場をもたしていました。
彼も、今回の会について一緒に考えたり、アドバイスをくれたりしていたので「僕もいく」と仕事おわりに来てくれていました。途中、ナンノさんは別件で席を外し、その後に違うお客様が来てくださっていたので、最終的には、5人で「不毛な議論」を繰り広げていました。

例えば、「唐揚げにレモンはかけるのかかけないのか」や「目玉焼きに何をかけるのか」「A Vを見ている時に感情移入するのは、男性側なのか女性側なのか」「ピカチュウの美味しい食べ方」など、ホワイトボードを周しながらお客様側に考えてもらい、議論をしました。
ここが一番むずかしかったです。基本的に、私は人の意見を聞いてたまに発言したらいいや。聞き専に徹しようと思っていたのですが、たまに訪れる無の時間に耐えきれなくなりもうすこし待っていたら面白くなるはずの議論の芽を摘んでしまっていたのです。しっかり場をまわしてしまっていました。
ここがよくなかったのだと帰りに大いに反省しました。
今までずっと、ある程度マニュアル化された接客しか経験したことがなく、こんなふうに人とカウンター越しで喋ったり場の雰囲気を汲み取って適切な発言や行動をするのがこんなにも難しいことなのだと痛感しました。改めて、いつも通っているお店のマスターたちに尊敬の眼差しを向けました。
またこのような試みをするかと問われますと、少し手が出にくい部分もありますが、また自分自身を磨いてこんな事ができたらなと考えています。


ほぼ2回ほどしかお会いしていないのにこのような機会を与えてくれたナンノさんに改めて感謝を伝えたいです。
そしてついでに告知ですが、私のパートナーがバーエデンで「理解のある彼くん/彼女さんバー」を3月27日に開催いたします。
パートナーや友達、親族。発達障害や傾向がある人たちが集まろうという会です。これは私も立っています。ほぼ私が元ネタなので元ネタ製造者として立ってます。恐らく。
久しぶりにとても長くなりましたが、書いててとても楽しかったです。お暇な時にちまちま読んでくだされば幸いです。
ではまた

恋に恋するのはなぜか

お久しぶりです。久しぶりかと思えばハードな内容を書きます。最近色々ありまして、その色々は言えないのですがタイトルにあるようにこう言った議題にぶち当たりました。

人は皆、形が違えど恋に落ちますよね。それが異性であったり同性ではあったりはたまた画面の中だったり、でも恋に恋するってのはあまり聞いたことがありませんでした。少女ドラマやアニメだけに存在するのかとほんのつい最近まで思っていました。ですが、いるのですね。恋に恋する人。

自論ですが、誰かに恋をしたとき、その人の為にあれこれ動きたくなりませんか?自分という存在が邪魔になって欲しくて色々尽くしたり好きだということに気づいて欲しくない様な素振りをしたりして。少なくともわたしの片思いはそんな感じでした。誰かのことを好きになったらその人のことばかり考える。それが恋に落ちるということだと思っていました。ですが恋に恋する人というのはこれが違うんです。違うというより、慮っているふりをしながら自分のことしか考えていないのです。自分が忙しくて相手も忙しくても深夜に会いに来たがったり、さして興味のない話ばかりしたりするんです。これも自論ですが、本当に好きだったら深夜に会いにくる様な事はしないし、相手のことを思いやるはずです。恋に恋する人というのは名の通り、相手に恋するのではなく恋という概念そのものに恋してるのです。だから相手のことなんかどうでもいいし、人に言われても恋に恋してるということに気づいていない或いは認めたがらないのです。散々なことを書いていますが、別に恋に恋する人に恨みなどないです。ただ好奇心があるだけで。

何故人は恋に恋するのか、とても疑問に思いました。自己愛が強すぎる故に誰かを好きになった自分が好きなのかはたまた家庭環境や幼少期に問題があり自己肯定感が低いから相手に求めすぎてしまうのか。はたまた「恋」そのものとときめきが好きなのか。ときめきだけが目的なら相手のことなんかどうだっていいのかもしれません。これが答えなのかは分かりません。そもそも答えなんかないものにぐちぐち言ってるだけなのですから。これを読んだ方は自分が思う「恋に恋する人」を教えてください。お願いします。

ではこれで一旦終わります。さようなら。

 

東京旅行記 破

なにかとバタバタしていた。満員電車に揺られて関西空港へ向かう。パートナーは仕事を終えてギリギリで来る。わたしはもう大阪の満員電車の時点でかなり疲れていた。初のLCCで搭乗手続きと荷物検査を終える。やることもないし荷物は重いし、パートナーを待つこと30分程度でやってきた。荷物を持ってもらい機内に移動し、我々は東京に向かう。夜も遅いこともあり、機内の客席は程よく空いていてかなり楽だった。それより大変だったのは成田から神田までの道行きが大変だった。1時間以上かかり、9時に大阪を発ったのにホテルがある神田に着いたのは12時過ぎ。途中、上野で乗り換えがあり降りた時、これが東京かとワクワクした。疲労感は抱えたままだが。無事ホテルにチェックインし、コンビニで簡単な夕食を買い、早々と体休めることに専念した。神田の駅に降り立ったとき、後ろから酔っ払ったサラリーマンが中身がまだ入っているビール缶を蹴り上げていた。

本来なら、二人で喫茶店に行ってモーニングを食べるはずだったがぐっすり眠ってしまい、そんな時間は無くなってしまった。彼は友人と出掛け、わたしはなんとなく散歩すると言うことで別れた。神保町に行って古本屋に行くが、昼前に行ってしまったため開いていない店もちらほらあり、更に歴史や哲学やかなりの専門書がメインの古本屋が数多くあったため心折れてしまい、神保町からレンタルサイクルを借りて、渋谷まで向かおうといったのだが、皇居は想像してたより大きいし、なにより坂が多い。坂、坂、坂の連続で疲弊してしまう。途中国会議事堂を見つける。ニュースで見てるよりデカく謎に感嘆する。暑いし、足がもたない。昨夜寒かったから今日も寒いかもと天気予報も見ずに長袖で出かけた自分を恨みながら赤坂まで来てレンタルサイクルを返却し、タクシーを捕まえる。東京は大阪と違い、タクシーの初乗りが安いため、満員電車が嫌いな私にとってありがたい存在だ。渋谷に到着する。これもまた想像するより人が多く驚愕する。渋谷を徘徊するのは早々に諦め、目的の買い物だけ済まし、再びタクシーを捕まえる。次は名曲喫茶ライオンへ向かう。道玄坂のかなり奥まった所にある。店内の奥にはレコード台とおそらくクラシックレコードが陳列されており、店内にはクラシックがかかっている。朝から何も食べていないのだがフードの提供はなくドリンクのみとなっている。空きっ腹にカフェインを入れると胃痛が発生するので、レモンスカッシュを頼む。美味しい。旅行中は禁煙を解禁して一時的に喫煙者になっていてので店員さんに喫煙所を聞き、久しぶりの煙草を吸って先に戻る。

1時間も経たないうちにお会計をして、三茶まで歩こうと思いつき歩くが、車通りも多いし、足に合わない靴を急いで履いてきたため、靴擦れで足が痛い。もう何もかも嫌になってきた。大阪に帰りたいと頭の中でぐるぐるしていた。彼に電話をかける。一体今はどこにいるのか聞くが、五反田にいるという。電話の向こうは楽しげで羨ましい。合流したいとも思うが、せっかく友人と会っているのだ邪魔はしたくない。一体どう楽しめばいいのか考えているうちにクラフトビール専門店の立ち飲みを見つける。これはもう飲むしかあるまい。店内にはいろんなクラフトビールがぎっしりと詰まった冷蔵庫が四つ並んでいる。奥には六つのタップと銘柄の説明とカウンターがある。何にしようかと悩んで、確か岩手のIPAを飲んだ気がする。そこまで重くなく、フルーティで飲みやすかったのを覚えている。暑かったから瞬く間に飲み干して店を出る。蒸し蒸ししていて、少し歩くたびに湿気が体にまとわりついてうんざりしたくなる。商店街らしい所まで歩いてタクシーを捕まえて下北沢までいく。ついて後悔したくなるほど人が多くて疲れる。ある程度ぐるっと歩いて、電車で神田のホテルに帰る。ここまで何も食べてない。ホテルの横にあるコンビニで簡単に食べれるものを買い、部屋の中で食べる。彼に連絡すると新橋で先に飲んでるときたので、一軒目が終わるまでホテルでゆっくりする。1時間も経たずに連絡が来て、身支度を整えて電車に乗る。新橋で降りるはずが乗り過ごしてしまい、反対の電車に乗ればいいのに何故かイライラして改札を出てタクシーで向かう。雨も降り出してるし暑い。やっと新橋に着いたけど広すぎてどこかわからない。そこでもイラついている。嫌すぎるこんな自分。やっと合流できた。そこからは楽しかった。祝日だからどこも人がいっぱいでなかなかに店に入らず、やっと入れた海鮮居酒屋もほどほどに美味しく楽しい。彼と彼の友人から散歩の話をたくさん聞いて楽しい。彼がお手洗いに行ったタイミングでなんで好きになったのと、聞かれるが、あまり人に話したくなかったので適当にはぐらかす。居酒屋を出た後は、新橋ビルにある激渋バーを知人に教えてもらったので向かうが、シャッターが閉まっていた。どうしようと悩むが、神保町に行きたいバーがあるのを思い出し、皆で神保町に向かう。奥まったビルの地下一階にある。カウンター席とテーブル席がかなりあり広い。ウイスキーをメインに扱っているのだろう。メニュー表には数多くウイスキーやブランデー、スコッチが並んでいる。何を飲んだがあまり覚えていない。そこまで酔っていないのに。ポテトとなにかつまむものを食べた気がする。10時半で、彼の友人の電車の終電が近いと店を出て駅まで送る。あまりにも早い解散。物足りない。まだまだ飲める。こんなもんじゃないんだと言っているが、彼に説得されタクシーに乗りホテルに帰る。部屋に帰り、コンビニに行こうと出ると、さっきまで止んでたのにバケツをひっくり返したみたいな雨が降っている。近いからと傘も刺さずに走る。適当に食べるものを買って部屋に帰る。風呂に入り、昨日あまり眠れてなかったからすぐに意識を手放した。

 

東京旅行記 序

パートナーが友人達とzoom飲み会をしていて、私はゲームをしていたら突然、東京に行こう!と言われた。思考が追いつかない。なぜだと聞いたら、本来四人グループで旅行に行くはずが一人、仕事で予定が合わずじまいで、何もしないのも野暮だから三連休を使って東京に行こうというらしい。彼の友人達は快くOKしてくれたから良いものの。東京。一体全体何をしに行けばいいのだ。こちとら兵庫、大阪、京都からさほど出たことはなく、東京になんの目的もないのに。と思ったものの、三連休置いてかれるのも癪なのでついていくことにした。

東京に行って何をしたらいいのかぐるぐる思考を巡らせていくが何も出てこない。強いて言うならば神保町で古書店を巡り、酒を飲むことくらいだ。なにかいいところはないかと、頭を悩ませていると、私のバイブルでもあるPOPEYEがちょうど東京案内の号だった。買うしかない。

流石POPEYE、行きたいなと思うところばかり載せている。大体の目星はついたような気がする。

さて、然る東京旅行記。一体全体どうなるのか、思い出深い旅行になるのか。やはり大阪でいいのか。楽しみである。

 

初夏に差し掛かる頃

大変お久しぶりです。お正月ぶりでしょうか。

めっきり描かなくなってしまいました。日々、楽しいからなのか、前みたいに鬱屈とした気持ちが少なくなったからか。多分両方でしょう。あっという間に桜が咲いて散り、蒸し蒸しと暑くなって参りました。初夏のさらっとした天気は何処へと思うほど夏に近い天気で辟易としてしまいます。

皆さん、今年はお花見しましたか?。今年は京都に行きたかったのですが、生憎都合がつかず手早く大阪城で花見をしました。サブウェイでサンドイッチをかって桜を見ながら食べたり、河川敷で出店の唐揚げやイカ焼きを食べながらビールを飲んで寿司を食べて、夜桜を見たり、のんびり起きて昼から手作りの野菜がこれでもかと言うほど入ったサンドイッチを作って日が暮れるのを観ながら食べたりしました。花見ってもはや桜を見るためじゃなくてご飯を食べるためにしてる様なものです。この前も、彼が造幣局の通り抜けの入場券を取ってくれて向かったのですが、結局花より団子だなぁとなり酒場に繰り出しました。そういう性分なのでしょう。桜はいつみても綺麗です。初めて通り抜けに行ったのですが、河川敷や街でみる桜と違って色々な品種の桜がみれてとても満足でした。小ぶりで小さい桜や、はじけてしまうように咲いている桜。綺麗だなと満足するとビールが飲みたくなるのは何故でしょうね。

ここ最近は、仕事を初めては辞めての繰り返しでやっといい仕事に巡り合って腰を据えることができそうです。前職とそんなに変わらないけど。コンビニ等のじっとしている仕事はどうも性格上合わないようで忙しくてバタバタしている方が合うようです。皮肉なものですね。失業保険を貰いながらのんびりしている時があんまり恋しくて働き方を忘れかけていたけどそう言うわけにもいきません。働かねば。

またじめじめとした夏がやってきて、私は一つ歳を取っていくでしょう。歳をとるのは恐ろしくも思えますが、美しい現象とも思います。ただ歳を食うより苦しみながら色々なものをみて経験し、歳をとるのはこんなにも美しいものなんだなと。尊敬する人たちをみて思うようになりました。以前なら歳をとることに嫌悪していたけれど、これもまた成長と言えるのでしょうかね。

長々とまた書くのも疲れたのでここいらで終わりにします。ではまたさようなら

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謹賀新年

大変お久しぶりです。改めてあけましておめでとうございます。久しく書いておりませんでしたが正月くらい書こうかなと思い、書いている所存です。1年のまとめ的なものを書こうかと。

この一年、目まぐるしく変わりました。まさかの恋人ができ、同棲し、実家を離れて生活しております。去年の私からは想像をしていない現状が幸福なことに続いております。

去年の私ときたら、酒を飲み煙草を好きなだけ吸い失恋をしそれはそれはもうやさぐれておりました。沢山の人に心配をかけたかと思います。親も含めて。でも、あの生活はあの生活で大変楽しかったです。自由気ままに生きているのは寂しくもあり楽しくもありました。孤独ではありましたが。

付き合った当初、親やお世話になった人達に二人で会いに行くと皆喜んで頂けて本当に嬉しかったです。それと同時に私は、本当に周りに心配されていたのだなと痛感しました。心配された分をこれからきちんと恩として返せたらいいなと。

周りからは雰囲気が柔らかくなったと言って頂き感謝しております。

それと実家を離れて、二人で暮らしていると今まで忘れていた、父との思い出もたくさん思い出せたり、父のありがたみを実感して大事にしなきゃと思うようになりました。父は一人で私たち三兄弟を育ててくれました。不器用で愛情の伝え方が下手くそな父とは折り合いが悪かったり、私も父と対話するのを逃げ続け、父の気持ちをわかってあげることができませんでした。恋人と父に同棲の許可を得るために会った時、父は寂しいやら嬉しいやら混じったような顔をしていて恋人によろしくお願いしますと言い、もし泣かせるようなことがあるのならいつでも返してもらって構わない。と言う父に私は本当にこの人に愛されて大事に不器用なりに間違うこともしたけれど育ててくれたのだなと痛感しました。

度々帰ると、必ず手土産を持たせてくれたりたまに泊まると私のこと高校生って思ってるの?と思うぐらいご飯を食べさせてくれたり、離れてから如実に愛情を感じるようになりました。

それもこれも恋人と出会わなければわからないことです。一人では決して分からなかったことです。今でもひとりだったなら、親との折り合いが悪いままで好き勝手に生きていたことでしょう。誰かと生活していく幸せがこんなにもいいものとはわからなかったでしょう。

この一年、目まぐるしく変わり私は今迄無かったような事を感じることができました。一人では無かったのだと強く感じる年でした。孤独を耐えた意味はここにあったのだと。孤独や寂しさを感じることはないのだと。そう言う良い一年でした。長くなりそうなのでここいらで終わります。

改めまして、新年あけましておめでとうございます。これからは不出来ではございますが二人共々よろしくお願いいたします。また酒を飲みましょう。これを読んでいるあなたにとっても良い一年である事をお祈りしております。何卒お身体を大事に。それではさようなら