日々の備忘録

日々の出来事や考え事をまとめるためにつらつらと書いています

理解されている側の実態

以前、告知した「理解ある彼/彼女さんバー」ですが、一体全体理解されているとはなんなのか。

私自身、理解されているという自覚はありつつふんわりとしかわかっていない気がするので一度本番が来る前に私がどういった人間でこうなったのか紐解いて行こうと思う。

最初に私は一般的に発達障害といわれる部類の人間であり、大きな枠組みの中で私は発達障害の中の「ADHD、注意欠陥・多動性障害」と言われるものである。思春期の頃、自覚的に一般の普通とは違う生きづらさにぶち当たり高校を卒業した辺りで親に精神科に連れてってくれと懇願した辺りで判明した。
その頃も、服薬や障がい者手帳などを勧められたが両方とも取らずに今現在を過ごしている。
結果として、取らなくてよかったというのが正直な感想である。もちろん取った方が良い人だっている、あくまでも私はの場合の話である。

発達障害は目に見えない障害であるが故に隠すことができたり、ある程度社会性や社交性でカバーできる場合がある。だが、一度手帳を取ってしまうと私は「障がい者」というレッテルや枠組みでみられたり社会的に判断されやすくなると思っている。今ですら生きづらいのにより一層生きづらくなってしまう。
それを回避するために取らない選択をしたのだ。
今でもこの判断は間違ってなかったと強く思う。

私がADHDだとわかった時、正直安心した。

生きづらさや親から求められている「普通」になれないことが判明したからだ。
親は私に「普通」であることに執着し過干渉になった。
なれもしない「普通」の人生を生きてほしいと強く願った、その願いから逃れることができる材料ができたのだ。
実際、発覚した以降は「普通」を求めるのは諦めた様だった。
それでも、生きづらさからは逃げられない。普通ならできるようなことができたのにできないし、発達障害が原因でバイト先でいじめにあったこともある。
普通を求めるならそういう仕様に産んでくれよ。とも思った。

二十歳を過ぎて少しした後、あの時出会わない様な人たちと出会って「普通」に固執する必要はなかったのだと生き様や彼らとの会話でわかった気がした。
これは「障害」と捉えるより「特性・個性」と捉える方が生きづらさがマシになるのではないかと考えられる様になった。
「普通」に固執していたのは、親ではなく自分自身なんだと理解した時だった。
それからはある程度マシになりはしたが、それでもカミングアウトした時にいじめにあった過去があるしセンシティブな話題だと思うので初対面の人には言わないようにしている。

彼と出会って付き合い始めた時に自分が持っている特性を話した時、さも知ってますが?と特段驚きも狼狽えもせずに話をしたことが驚いた。
その時、この人は正しい知識があるんだなと思った。
なぜなら、こういう場合多くは哀れみや同情の目を向けてきたり、自分では荷が重いなといった顔をされることが多い場合があったからだ。
だが、彼にはそういった素振りは全くなかった。教師であったことも由来しているのだろうがそれでも嫌な顔ひとつせずに聞いてくれたのである。
後からそう話すと、彼からは「教師舐めるなよ〜」と言われたが。
最初のうちは、私の癖や特性があり過ぎて困らせることもあったがそれも今はほとんどない。
それと実家では理不尽に怒鳴られたりできないことに対して叱責されていたが、それもなく安心して過ごしている。
メガネが汚れていても、初デートの時に本を忘れても呆れられる、見捨てられるという恐怖心から離れることができたのは本当に良かったと思う。
自分が自分であるため、あるがままで生きていても侮辱も暴力や謂れのない屈辱も味わう必要がなくなった。
親と離れて暮らして、関係性も良くなった。お互いに辛い部分から離れることができたからだと思う。
おそらくこういうこともひっくるめて「理解されている」のであろう。

根本的な生きづらさは無くならないけど無くならないことに対して悲観的に捉えることなく、比較的楽観的に捉えることができるようになった。
このことはかなり大きな進歩だと思う。
今までの自分ではできなかったことだ。
というのが「理解されている」側の私であり、私という人間である。

彼のノートでは彼の視点や体験からいろいろ書いているので暇があれば是非読んでいただきたいです。


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では来る27日バーエデンでお会いしましょう。